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寅次郎の農薬つれづれ記
鋭い観察眼から生まれたジベレリン
ぶどうの季節になるとデラウエアー、巨峰、ピオーネなどの品種の種無しぶどうが店頭にならぶ。種の無い品種だと思っている人がいるが、これは開花後のぶどうの花房を一房ずつ植物ホルモンのジベレリンの水溶液に浸漬することによってできるのである。 ジベレリンは1926年(大正15年)台湾総督府農事試験場の技師であった黒沢英一が「稲馬鹿苗病の..
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寅次郎の農薬つれづれ記
DDTの歴史
合成農薬のオリジンをどこにおくかは、判然としない面もあるが、1939年スイスの染料会社ガイギー研究所のミュラーがDDTの殺虫剤としての生物活性を発見したことにあるということには異論はないようだ。DDTの化合物自体は、その遥か前の1874年にオーストリアの化学者ツアイドラーによって合成されている。構造は極めてシンプルなものなので有機塩素..
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寅次郎の農薬つれづれ記
博多中洲の“飢え人地蔵”
中洲の繁華街の一角に場違いなお地蔵さんがひっそりとたたずんでいる。1732年(享保年間)に西日本中心に大飢饉が起こった。この飢饉は2月から6月までの長雨と大陸から飛来したイナムシ(ウンカ)の大発生によるものとされており博多で6000人の人がなくなっている。このお地蔵さんはその人たちを供養するためのものであり、現在でも毎年8月..
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