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農薬の深イイ話

2023.01.01

蒋介石の日誌

最近コクヨのキャンパスノートの小型が売れている。岸田総理がこのノートに政治問
題を記述していることが話題になった。今回のサッカーのW杯で試合中に森保監督が記録していたノートも同じ物であった。

この種のジェスチャーで以前、政治評論家の竹村健一が黒い手帳を振りかざして「日本の常識は世界の非常識」などと論じていたことを思い出す。岸田総理のノートは、公開されていないので、今後どういう事象として現れてくるかは分からない。
 
年末の12月8日の開戦記念日に、NHKのBSスペシャルで「開戦太平洋戦争 日中知らざる攻防」という番組を放映していた。基調は、米国のフーバー研究所に保管されていた蔣介石の日誌と日本の陸軍および外務省に残っているやり取りを対比させている。フーバー研究所に残された蔣介石の日誌は遺族の意向により複写、撮影は禁じられており大東文化大学の鹿錫俊教授が、同研究所に長年通って筆写したものである。

もう一つの資料としては、盧溝橋事件の時の北京駐在武官だった今井武夫大佐の資料で陸軍の中国との和平工作を詳述している。次男の今井貞夫が自宅に保管していたので、この二つの資料を基軸に、外務省の動きを交えながら蒋介石の深謀遠慮の戦略を読み解いている。

蒋介石の基本戦略は、戦力を比較すれば日本軍に劣るから国際世論を味方につけることにあった。当時の近衛文麿首相は陸軍と外務省の方針に惑わされ、”爾後、蔣介石を相手とせず”と声明し、確たる一貫性は見られない。

盧溝橋事件の一ヶ月後、蔣介石は日本軍へ上海事変を企てるが、逆に陥落してしまう。南京から重慶へと後退しながら、日本陸軍を奥地へと引き込んでいった。蒋介石は、妻の宋美齢を米国へ派遣し各地で反日感情を醸成していた。近衛内閣は何度も中国との和平の機会があったにも拘わらず交渉条件をつり上げ、収束の機を逸している。一時は日本、満洲国、南京政府による統治を目論んだ”東亜新秩序声明”を出した。南京政府とは、孫文の弟子、汪兆銘を担ぎ出して正統政府とし、蒋介石の重慶政府を一軍閥とするものであった。これが今井武夫大佐の資料にある”桐工作”である。その後は東条英機陸相の意向が強く、力が発揮できない汪兆銘を切り蔣介石と再交渉、宋美齢の弟、宋子良と称する謎の人物と交渉しているが、この人物は偽者と云われる。

この頃の英米は、日中の争いは黄色人種の争いにしておけという態度であり、日本の経済制裁も米国は緩める動きを見せたが、日独伊三国同盟を結ばれると第二次世界が勃発する。英国チャーチル首相は電撃作戦を展開するナチスドイツに対峙するには米国を欧州戦線に引き込まねば勝てないと判断していた。

この機に蔣介石は、チャーチルとルーズベルト大統領に書簡を送り一気に日中戦争を国際問題化させた。日本海軍が真珠湾を攻撃した時は快哉を叫んで勝利を確信した。

日本は近衛文麿の判断ミス、東条英機の日中戦争でなくなった将兵を思えば撤兵はあり得ないというような日本的思考が破滅の道を歩ませた。このように蔣介石が長引く日中戦争に態度のはっきりしない英国、米国を捲込み国際問題化させていく過程が描かれていた。

蔣介石中華民国の運命は、第二次世界大戦の戦勝国になるまでで、その後は共産党を掲げる毛沢東に追われる身となってしまう。中国の王朝が、常に内乱によって様変わりしていく様子が再現されていく。
  
現在の中国も、歴史を繰り返しているようで、習近平のゼロコロナ対策に人民が白紙をあげ信頼が薄れていくのも納得がいく。
(ペンネーム寅次郎)

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